大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)1610号 判決 1989年7月13日

原告

遠藤富雄

右訴訟代理人弁護士

東垣内清

同弁護士

西本徹

同弁護士

酉井善一

同弁護士

西枝攻

同弁護士

徳永豪男

同弁護士

戸谷茂樹

同弁護士

守井雄一郎

同弁護士

上山勤

被告

武田薬品工業株式会社

右代表者代表取締役

小西新兵衛

右訴訟代理人弁護士

中山晴久

同弁護士

林藤之輔

同弁護士

石井通洋

同弁護士

高坂敬三

同弁護士

夏住要一郎

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  原告と被告の間において雇用契約が存在すること及び原告が被告食品事業部大阪食品営業部食品営業第三課において就労する義務の存在しないことを確認する。

2  被告は原告に対し金六二四七万一一四四円及び昭和六三年五月から毎月二五日限り一か月金三三万八六五二円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2につき仮執行宣言

二  被告

主文と同旨

第二主張

一  請求原因

1  被告は医薬品、食品、化学品、農薬等の製造及び販売を業とする。

原告は昭和三五年被告に入社し、同四五年から中央研究所の製剤研究所(以下、被告各部署の名称は同四八年当時のものである)に配置され、医薬品固形製剤の開発研究補助業務に従事してきた。

2  被告は原告に対し、同四八年一一月七日付で食品事業部大阪食品営業部食品営業第三課(以下、営業三課という)への配転を命じ(以下、本件配転命令又は本件配転という)、更に、原告が本件配転命令に従わなかったことを理由とし、同五一年二月一一日付で制裁解雇(以下、本件解雇という)をなし、原告との雇用契約を争い、原告が製剤研究所において就労することを拒否している。

3  原告は本件配転命令及び本件解雇がなされなければ、少なくとも別表一のとおり昇給し、同六三年五月の賃金(基本給及びその他の諸手当)は一か月金三三万八六五二円となり、又、別表二のとおり毎年夏、冬の一時金の支払いを受け得た。

被告は賃金を毎月二五日限り支払っていた。

4  よって、原告は被告に対し、原、被告間において雇用契約が存在すること及び原告が営業三課において就労する義務の存在しないことの確認並びに本件配転命令及び本件解雇がなされなければ支払われた賃金及び一時金から既払額を控除した金六二四七万一一四四円(既払額は別表七支給額欄別表三のとおりである)及び昭和六三年五月から毎月二五日限り一か月金三三万八六五二円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否と抗弁

(認否)

請求原因は認める。

(抗弁)

1(1) 被告は業務の都合により原告に対し、同四八年一一月七日付で本件配転を命じた。

(2) 原告は本件配転命令に従わなかった。

(3) 原告の本件配転命令不服従は社員就業規程(就業規則)第一二三条第五号に該当する。

そこで、被告は武田薬品労働組合(以下、組合という)と労働協約所定の協議を経、同五一年二月一一日原告に対し本件解雇の意思表示をした。

2 原告は被告に対し同五一年二月一一日から毎月二五日限り一か月金一七万八六六円の割合による賃金の支払を求めていたが、同六一年二月三日右請求を拡張した。

従って、同五九年二月三日までの請求金額を超える賃金及び一時金支払請求権は同日から二年の経過により時効消滅した。

被告は本訴において右時効を援用した。

三  抗弁に対する認否と再抗弁

(認否)

1 抗弁1(1)は、本件配転が被告の業務の都合によることを争い、その余は認める。

2 同(2)は認める。

3 同(3)のうち、被告が原告に対し本件解雇の意思表示をしたことは認めるが、本件配転命令不服従が社員就業規程第一二三条第五号に該当することは否認し、被告が本件解雇につき組合と協議を経たことは不知。

(再抗弁)

1 本件配転命令は権利の濫用であるから無効である。

(1) 被告は、原告が共産党員であること、後記松本労災闘争において主導的役割を果たしたこと等を嫌忌し、本件配転を命じた。

<1> 被告は同二三年頃労使が協調して企業の正常な運営を阻害する非協力者を排除するとの方針を立て、同二四年社員就業規程に非協力者排除の条項を入れ、同二七年同規程及び労働協約に職場防衛条項を規定し、職場防衛協議会を設け、日本共産党員、民主青年同盟加盟者及びその同調者、労音、労演その他各種民主サークルに参加する者らを嫌悪し、解雇や不利益取扱を重ねてきた。

<2> 原告は同三五年頃から労音、労演の会員として活動し、同三七年民主青年同盟に加盟、間もなく日本共産党に入党した。原告は、寄宿していた被告五月ケ丘寮においては他の寮生に対し共産党への入党や同党機関紙の講読を勧誘し、職場においては組合役員になり、職場民主化運動、職場環境の改善、賃上げ闘争等に活躍してきた。

そのため、被告は原告に対し、昇給、社内研修、共済資金の貸付等において不利益取扱を繰返した。

<3>イ 松本洋治は製剤研究所において半合成ペニシリンの製造研究に従事していたが、同四四年後半からペニシリン吸引による諸症状が発現し、同四五年一〇月気管支喘息と診断され、同四六年一一月一八日同疾病のため死亡した。

淀川労働基準監督署長(以下、労基署長又は労基署という)は同四八年一〇月二三日同人の死亡を業務上災害(以下、労災という)と認定した。

ロ 松本は被告に対し右疾病を公傷(労災)と認めるよう求めていたが、被告は業務起因性を否定し病因究明にも協力せず、同四六年一月漸く準公傷扱いするに止まった。ところが、被告は、松本が同年七月一四日関西医科大学付属病院黒川医師により右疾病はペニシリン・アレルギーに起因する疑いが濃厚であると診断されるや、松本に対し被告と親密な北野病院への入院を指示し労災隠しを画策した。松本はその後も被告に対し右疾病の公傷扱いを求め続けたが拒否され、関西医科大学付属病院に入院後死亡した。

被告は松本の父に対しても松本の死が業務に起因することを否定し、労基署に対し労災認定申請をしないように要求し、退職金の他見舞金として一〇万円を支払うことを申入れたが、松本の父は拒否し、後に被告との交渉を弁護士東垣内清、同酉井善一に委任した。

ハ 松本が寄宿していた被告吹田寮の寮生や製剤研究所の同僚は同人の要求を支持し、看病に当たってきたが、被告の右のような対応に不信、不満を持ち、寮生らは同年一一月二二日被告及び組合との間で懇談会を持ち、その見解を糺したところ、被告は同人の死が業務に起因することを否定し、組合もこれに追従したため、一層不信感を募らせ、同四七年二月六日製剤研究所の同僚らと共に同人の追悼登山を計画し、多数の寮生の他、松本の生前から同人を支援していた同研究所の西田陽子、奥田正三(同四九年一〇月退社)らも参加した。他方、製剤研究所においても、西田、奥田、杉森健一ら職場民主化サークルで活躍していた者が中心となって、松本及び同人の遺族のため、被告による損害賠償及び労基署による労災認定を得るための闘争(以下、松本労災闘争という)を始めた。その結果、被告従業員の間において松本問題に対する関心が大いに高まり、同四七年四月行われた組合代議員選挙では松本労災闘争の支援者が数多く当選し、被告に追従する組合執行部に対する信任票は減った。

ニ 被告は、松本労災闘争が製剤研究所を中心とした中央研究所及び大阪工場(何れも大阪市淀川区十三本町所在)の被告従業員間に拡大するのを防ぐため、西田に代議員選挙に立候補する意思のあることを知るや他の部署へ配転して同人の立候補を阻止し、同年五月から逐次中央研究所及び大阪工場の人事部門に人事、労務のベテランを配して対処し、松本労災闘争の活動家を同工場地区から放逐すべく、医薬営業部に薬効別リサーチャー(Rマン)という職種を新設し、同月二一日中央研究所の福原輝男、福島義世(何れも松本の同寮者で前記追悼登山の計画者、推進者)及び奥田を、同年一〇月一一日同化学研究所の梅谷友信(松本の同寮者で同人の病因究明につき被告と交渉をし、前記追悼登山に参加し、代議員に当選した)、鈴木光男(松本の病因究明に協力していた)を、何れも研究職からRマンに配転(但し、奥田は拒否し、開発部開発二課へ配転された)した。

Rマンは当初三〇名いたが、同五二年一一月には僅か一三名となり大量の欠員を生じたにも拘わらず、被告は補充しなかったのであるから、被告がRマンを創設した意図は松本労災闘争を阻止することにあったのは明らかである。

ホ 西田、杉森らは同四七年五月原告を松本労災闘争のリーダーとして迎え、ここに原告、西田、杉森は松本労災闘争組織化のため、同年六月、社外において民医連、新医協加盟の医師及び民主法律家協会加盟の弁護士らからなる松本問題対策協議会(以下、対策協という)の結成を依頼し、社内においては松本さん労災認定闘争支援者の会(後にカーネーションの会)を結成し、原告が代表者になった。対策協は松本の死が労災であることを訴えるビラを配布する等の啓豪宣伝活動、署名運動を展開し、全国の労働組合、民主団体へ支援を要請した。対策協及びカーネーションの会に属する被告従業員はこれに協力し活動した。

ヘ 被告はその後も松本の死が労災であることを否定し続け、同年七月頃労使双方からなる労災専門委員会を発足させたが、同委員会は被告職場における松本労災闘争の沈静を目的とし、対策協に対する批判、攻撃に終始し、被告は同年一〇月九日松本事件に対する会社の態度と称する文書を組合を通じて被告従業員に回覧し、被告の松本問題に対する対応に誤りのないことを強調し、組合と共に反共宣伝を繰返し、組合は再三、対策協の行動が松本問題の解決を遅らせているとのビラを配付した。

対策協は同年一〇月一六日被告門前で被告従業員らに対し、松本労災闘争の正当性を訴え、被告および組合を批判する宣伝ビラ三〇〇〇枚を配布した(但し、被告の攻撃、報復を避けるため、対策協及びカーネーションの会に属する被告従業員はビラ配布に参加しなかった)。

ト 松本の遺族代理人である東垣内弁護士と被告の交渉は続けられ、同弁護士は、被告において労基署に対し松本の労災認定を申請するよう求めたが、被告が応じないため同年一二月二二日労基署に対し右労災認定を申請した。

チ 被告はその後も松本労災闘争を阻止するため、更に、人事管理部門を強化し、職制による監視態勢を固め、松本労災闘争推進者、支援者に対する攻撃を続けた。原告の上司である野口主任研究員は、同月末原告の部下である嵯峨山誠に対し、原告の言動について情報を提供するよう要求し(同人はこれを拒否したため後に研究職から倉庫業務へ配転された)、又、同四八年一、二月には原告、杉森及び松本労災闘争支援者二名を除く部下に対し異例の個人面接を行い、原告、杉森及び対策協の動向を探索した。そして、被告は同年三月一日製剤研究所の再編成に名を藉り、杉森を生産技術研究所に配転、原告を製剤研究所固形製剤グループから外国グループに異動させ、松本労災闘争の勢力の分断を図った。

リ 原告らは松本労災闘争に関する世論を喚起すべく、同年四月一日パンフレット(生きて働きたかった)三〇〇〇部を社内外に広く頒布し、又、原告が責任者となりカーネーションの会が職場で労災認定を求める署名活動(組合は協力を拒否した)を行った。その結果、松本労災闘争は同年七月朝日新聞等の報道するところとなった。

ヌ 対策協は労基署に対し、早期労災認定を得るための交渉を続け、原告らも同年五月からこれに参加した。対策協は被告従業員に対しビラを配り、右交渉の状況を伝え、被告の対応に対する批判、組合の攻撃に対する反論を行った。

被告は依然として松本労災闘争に対する中傷、牽制を続け、組合もこれに追随し、対策協を特定の思想集団とし非難、攻撃するビラを配布した。

ル 対策協らの展開した松本労災闘争の成果により、同年七月中旬、労基署は近く松本の労災を認定する見通しとなった。ここにおいて、被告と組合は態度を豹変し、被告は松本の遺族に対し、松本の死を労災と認め、和解する意向を示すに至り、同年九月二一日、被告は松本の死を労災と認め損害賠償金二〇〇〇万円を支払うこと、被告は松本の労災保険金の給付請求について必要な協力をすること等を内容とする和解が成立した。しかし、被告の真意は労基署に対する申請の取下げを希望するところにあり、労基署に対して松本の死を労災と認めることはなかった。そして又、被告及び組合は、右和解成立は被告及び組合の努力、誠意の結果であるとし、対策協及び原告ら松本労災闘争活動家を非難した。

オ そこで、対策協及び原告らは労基署による労災認定を得るため及び被告や組合の攻撃に対抗するため、被告職制による様々な妨害、中傷を受けながら更に広範な署名運動、ビラ配布を続けた。そして、労基署長は同四八年一〇月二三日前記労災認定をした。

ワ かくて、松本労災闘争は終熄したが、組合はその後も対策協を非難した。

<4> 被告は同月二六日、原告に対し本件配転を内示した他、西田に対して関連会社への出向を、杉森に対して化学品事業部営業部員への配転を内示した。しかし、西田、杉森はこれを拒否したため右出向、配転は実現しなかった(被告は代替要員を補填しなかった)。原告も右内示に同意しなかったが、被告は本件配転命令を強行した。又、被告は同時に、大阪工場地区から本社へ寺沢正義、田部和久、尾崎恵美子、製剤研究所から他の部署へ柾木真知子、高見恵子、篠原栄子、同一課内での職場変更として東川幸治、上村弘子、井上八重子らの配転、異動を行い、木下善嗣を建築業務から雑務へ担当を変更した。

原告、西田、杉森は松本労災闘争を中心となって推進し、その他の者は何れもその支援者であった。

<5> 以上の事実によると、本件配転命令を含む右一連の配転、異動等は被告の反共政策に基づく原告ら松本労災闘争の推進者、支援者に対する報復と言うべきであり、これにより被告における民主化運動が阻害されることは明らかである。

(2) 原告は本件配転によって次の不利益、損害を豪る

<1> 本件配転命令は原告を営業三課の中小企業を対象とするテクニカル・サービスマンに充てるというものである。原告は被告入社以来、製剤研究所において医薬品の研究及び研究補助業務に従事してきたのであり、食品部門の経験はないから、職種の変更である。しかるに被告は原告の同意がないのに本件配転を命じた。

<2> テクニカル・サービスマンは専門的知識、素養を必要とする専門職である。そして、製剤研究所と食品部門においては、使用する機器及び薬品、製造工程、文献が異なる。従って、原告が製剤研究所で得た知識、経験、技能は営業三課の行うテクニカル・サービス業務には全く役に立たない。のみならず、テクニカル・サービス業務は研究職と異なり外勤が多く原告の労働条件及び日常生活に与える影響が大である。

<3> 原告は同四八年三月一日製剤研究所固形製剤グループから外国グループに異動して未だ八か月しか経過していない。

2 本件配転命令が無効である以上本件解雇も無効である。

仮に、本件配転命令が無効でないとしても、原告は同四八年一一月一九日大阪地方裁判所に対し本件配転命令の効力を争う仮処分を申請していたが、同五一年二月九日右申請が却下されたため本件配転命令に従う意思を有していたのに、被告は原告の意思を確かめようともせず本件解雇に及んだのであるから、本件解雇は権利の濫用として無効である。そして又、原告が本件配転命令は無効であると信じたことには相当の理由があると言うべきであるから、本件解雇(制裁解雇)は重きに失し無効である。

四  再抗弁に対する認否及び主張と再々抗弁

(認否及び主張)

1 再抗弁1は否認する。

(1) 再抗弁1(1)は否認する。

<1> 同<1>のうち、被告が、労使協調による企業非協力者排除の方針の下に、社員就業規程、労働協約に非協力者排除、職場防衛の諸規定を設け、労使双方からなる職場防衛協議会を設置したこと、同二五年一〇月解雇した非協力者の中に共産党員がいたことは認めるが、その余は否認する。

<2> 同<2>のうち、原告が労音、労演の会員であったことは認めるが、被告が原告に対し不利益取扱をしたことは否認し、その余は不知。

<3>イ 同<3>のうち、松本は、製剤研究所において半合成ペニシリンの製造研究に従事していたが、同四五年一〇月気管支喘息と診断され同四六年一一月一八日関西医科大学付属病院において同疾病のため死亡したこと、被告は、当初、同人の疾病及び死亡と業務の相当因果関係は不明であるとし、同人の生前は右疾病を準公傷として扱い、死後は松本の父に対し見舞金一〇万円を支払うことを申入れたが拒否されたこと、被告は松本問題処理のため労災専門委員会を設置したこと、松本の父は同四七年一二月二二日労基署長に対し松本の死につき労災認定を申請し、同署長は同四八年一〇月二三日労災認定をしたこと、被告は松本の遺族の代理人東垣内弁護士らと交渉を重ね、同年九月二一日、松本の死を労災と認め損害賠償金二〇〇〇万円を支払うこと及び同人の労災保険金給付請求について必要な協力をすること等を内容とする和解を結んだこと、被告が数次にわたり中央研究所等の人事管理部門の人事異動を行ったこと、又、被告が、同四七年四月西田の配置換をし、同年五月Rマン制度を発足させ、同四八年三月製剤研究所の再編成をし、これらに伴う人事異動、配転を行ったこと、嵯峨山を配転したことは認めるが、被告が松本の死につき労災隠しを画策し同人の病因究明を怠った上、松本の遺族が労基署に対し労災認定請求することの妨害をしたこと、原告らの松本労災闘争を阻止、分断するため異例の人事異動、配転を行ったことは否認し、対策協の組織、活動及び原告との関係等の詳細は不知。

ロ 松本は同四五年五月から約七か月間半合成ペニシリンの研究業務に従事したが、その取扱量は極く少量であり、且つ、吸入、接触の危険もなかった。又、被告診療所は同年一一月同人にパッチテストを行ったが、その結果は全体的にみてペニシリン・アレルギーを示すものではなかった。しかし、被告は同人の病因究明のため、同四六年三月二九日大阪大学医学部の検査を受けさせ、更に、同人の希望により、関西医科大学、大阪赤十字病院で各種検査を受けさせたが、同人の疾病がペニシリン・アレルギーによることを明確に示す検査結果は得られなかった。そのため、被告は同人の疾病を労災として扱うことはできなかったが、同人及び組合の強い要望を受け、同人の治療の便宜のためこれを準公傷とし、各種の優遇措置を講じ、右疾病の慢性化防止と徹底治療のため入院を勧め(関西医科大学の診断は、通院治療で足るというものであった)、同人は同大学付属病院に入院した。同病院の死亡診断書は、同人の死とアレルギーの関係に言及していなかった。

被告は、松本の死亡直後において、同人の死が労災であるか否か確定できなかったため、松本の父に対し、取りあえず見舞金の提供を申出たが、同人はその趣旨を誤解し受取らなかった。その後、被告は同四六年一二月から翌年六月までの間四回にわたり、北海道の同人宅に赴き、弔意を示すと共に労基署に対する労災認定請求に協力すること及び右労災認定があればこれを前提とする解決をする意思のあることを申出た。しかし、同人は、全てを代理人に任せていると言って話合いに応ぜず代理人の氏名も明かさなかったため解決が遅れた。被告は同年七月労使双方からなる労災専門委員会を設置し、松本問題の処理を検討した。

被告は同年九月一一日漸く東垣内弁護士が松本の遺族代理人であることを知らされ、以後同弁護士と交渉を続け、松本の父が右労災認定請求する際には事実関係の資料を提供し、その後、組合の強い要望もあり、前記和解の成立をみるに至った(被告が右和解に応じたことは対策協や原告らの松本労災闘争と何の関係もない)。

以上に明らかなとおり、被告は松本の労災問題について誠意ある対応をしてきたのであって、何ら非難される筋合いはない。

ハ 被告中央研究所は同四七年四月一日相当数の人事異動を行い、その一環として基礎部門強化のため、西田を製剤研究所液剤軟膏グループから基礎グループに配置換した。被告は西田が松本問題に関与していることを知らなかったし、同人が組合の役員選挙に立候補する話もなかった。従って、西田の配置換は同人の松本労災闘争を嫌忌してなしたのではない。

ニ 被告は同年五月業績を回復するため、医薬営業部門の市場再開発を図る緊急措置としてRマン制度を発足させ、技術者三一名(中央研究所一二名)をRマンに当てた。当時、被告は営業部門、開発部門、学術情報部門の強化のため、Rマン以外に約二〇名の技術者を開発、学術情報部門へ配転した。このような技術者の営業部門への配転は過去にも例がある。なお、Rマン制度は目的を達し、同五八年発展的に解消した。従って、Rマン制度の新設及びこれに伴う配転が松本労災闘争に対抗する目的に出たものでないことは言うまでもない。

ホ 被告は、同四八年三月製剤研究所における研究方式の合理化及び技術力の向上のため、同研究所の再編成を行い所員一七七名中五四名に及ぶ配置換を実施した(固形製剤及び包装部門に二研究室を増設し、研究技術者を増員した)。杉森は、製剤研究所が生産技術研究所から梶浦主任研究員を受入れたため、代替要員として同研究所へ配転したのである。又、原告は配置換によって担当業務の変更はなかった。従って、同研究所の再編成が松本労災闘争の阻止、分断、を目的とするものでないことは多言を要しない(なお、嵯峨山の異動は本人の希望による)。

ヘ 中央研究所幹部の人事異動は所管業務の拡大、組織変更等の業務上の必要に基づくのであり、松本労災闘争対策を意図したものではない。

<4> 同<4>のうち、配転及び人事異動に関する部分(但し、木下に関する部分を除く)は認めるが、その余は不知。

被告は、西田の能力、実績を勘案し、同人を薬剤師として被告の関連会社へ出向させようと考えたが、同人が強く拒否し出向先での良好な勤務が期待できないため断念した。又、被告は、化学品事業部営業部門の充員要求を受け、杉森を適任と判断し同人に配転の内示をしたが、同人が、今の研究を完成させたいと希望し、且つ、同人の健康にも問題があることが判明したので発令を猶予していたところ、石油ショックによる需要減退のため右充員要求が撤回され、配転は実現しなかった。その他の者に対する配転、配置換も何れも業務上の必要に基づくものであり、同人らに格別の不利益をもたらすものではない。従って、右配転及び人事異動が原告らに対する報復を意図するものでないことは明白である。

<5> 同<5>は否認する。

(2) 同(2)は否認する。

<1> 同<1>のうち、本件配転が原告の同意を要する職種変更であるとの点は否認するが、その余は認める。

<2> 同<2>のうち、原告が製剤研究所で得た知識、経験、技能は営業三課の行うテクニカル・サービスに全く役に立たないとの点、本件配転が原告の労働条件、日常生活に重大な影響を与えるとの点は否認する。

<3> 同<3>は認める。但し、右異動によって原告の担当業務に変更はなかった。

2 同2は否認する。

原告申請の仮処分事件は二年余の審理の後却下されたのであるから、原告はその意思があれば被告の再度の打診を待つまでもなく、自発的に営業三課に赴任すべきである。従って、被告が本件解雇をなすに当たり、再度原告に本件配転命令に従う意思があるか否かを確かめなかったことは何ら責められるべきではなく、原告が仮処分申請却下後も本件配転命令に従わなかったことは正に制裁解雇に相当する。

(再々抗弁)

本件配転命令は、次のとおり、被告の業務上の必要性に基づくものであり、且つ、原告を人選したことに合理性があるから、原告の再抗弁は失当である。

1 被告社員就業規程第一〇三条第一項は、社員の所属事業場、所属部、課、係等の変更について、被告は業務の都合により異動を命じることができると定めている。

2(1) 被告は同四六年頃から医薬制度と過当競争のため業績が下降傾向にあり、収益が大幅に減少したため、抜本対策として医薬部門の営業第一線の強化、新規事業部門の活性化を目指し、同四七年以降、事務、生産、研究各部門から営業部門への重点的配転を行い、人員の合理化、新規採用者の減少を人事方針とし、これを強力に実施してきた(新規採用者の概数は同四六年一四〇〇名、同四七年四〇〇名、同四八年二〇〇名である。又、同四七年四月一一日から同四八年七月一〇日までの間、製造部門である大阪工場、光工場及び中央研究所から営業部門に配転された高校卒社員は七二名に上り、過去二年間の三倍を超えた)。

(2) 食品事業部においても全社的な目標達成のため業績上昇に腐心していた。営業三課は、近畿(三重県を除く)、中国、四国地区の食品加工メーカー(大手約五〇社、中小約一五〇社)に対し食品添加物、食品素材、醸造薬品の販売(食品添加物が売上の八五パーセントを占める)を行っている。ところで、営業三課の営業活動は高度なテクニカル・サービス(商品の特徴の説明、使用方法の技術的指導、苦情の解明と処理等)を必要とするが、同課員二六名中二名が主として大手加工メーカーを対象とする食品添加物、食品素材のテクニカル・サービスに当たり、他の部署からの応援一名が醸造薬品のテクニカル・サービスに従事しているに過ぎず(他の課員は純然たる営業販売員であった)、テクニカル・サービスマンは質、量共に不足し、そのため、他社に比べ中小加工メーカーに対する食品添加物のテクニカル・サービスは不十分となり、商機を逸する原因でもあった。そのため、営業三課が業績を上げるためには中小加工メーカーに対する食品添加物のテクニカル・サービスを充実させることが急務であったが、中小加工メーカーに対するテクニカル・サービスは各製造工程における混合、練合、機器の操作等きめの細かい技術指導が必要であり、同課には人員の余裕も適任者もいなかった。そこで、大阪食品営業部は中小加工メーカーに対するテクニカル・サービスマン要員(高卒者)の充員を要請することになった。

3(1) 被告は同四八年当時、本社各部及び各事業部並びに事業部に準ずる中央研究所等からなり、又、事業場は本社、東京支社、三支店、五営業所、六工場に分けられ、各事業部並びに事業部に準ずる中央研究所等は部に属する従業員の人事を行い、各事業場は事業場に属する従業員の人事を行っていた。本社人事部は本社従業員の人事を行うと共に全社の人事を統括していた。

(2) 大阪食品営業部は食品事業部に対し前記充員を要請したが、同事業部内において充員することは不可能であった。そこで、大阪食品営業部は同四八年八月三一日所属事業場である本社人事部に右充員を要請したが、本社事業場内で充員することも不可能であった。そのため、本社人事部は全社人事権を統括する立場で右充員を検討した。

(3) 本社人事部は当時、右大阪食品営業部の充員要請の他、医薬事業部営業要員高卒男子一六名、化学品事業部営業要員大卒男子二名、医薬事業部事務要員高卒女子一名、関連会社(薬局)出向要員大卒女子一名の充員要請を受けていた。

(4) 中央研究所は、前記研究部門から営業部門への重点的配転という基本方針に従い、同四八年三月三日同年度の人員計画(同年一月の在籍人員一二六一名を同五二年度には一〇〇〇名とする)を立て、本社人事部に対し、毎年二〇名程度を他部門へ配転すること、同研究所においては、後記のとおり、中高卒高年次研究補助者の昇進、昇格が難しいため、これらの者の他部門への配転を希望することを申入れていた。

(5) 本社人事部は、中央研究所の右事情及び従来高卒男子の配転は工場部門によることが多かったことを考慮し、同年九月一〇日同研究所に対し右医薬及び食品営業要員高卒男子一七名、化学品事業部営業要員大卒男子一名、医薬事業部事務要員高卒女子一名並びに関連会社(薬局)出向要員大卒女子一名に充てるための人選を要請した。

4(1) 中央研究所は化学研究所、醸酵生産物研究所、生物研究所、製剤研究所からなっている。当時、製剤研究所は研究費及び人員削減の方向にあり、同四八年三月行われた再編成により研究補助者に剰員が生じていたのに対し生物研究所は新薬開発のため一層の充実が必要であり、化学研究所、醸酵生産物研究所に特段の事情はなかった。他方、充員要請に係る職種と中央研究所の業務内容を比較検討すると、高卒食品営業要員(テクニカル・サービスマン)は製剤研究所をおいて他に適任者はなく、同医薬営業要員は製剤研究所、化学研究所、醗酵生産物研究所の順で人選するのが適当であった。そこで、中央研究所は、右食品営業のテクニカル・サービスマンは製剤研究所から、右医薬営業要員は製剤研究所、化学研究所、醗酵生産物研究所から各五名(後に各四名に減員)、生物研究所から一名の割合で選出し、同時に前記化学品事業部営業要員大卒男子一名、医薬事業部事務要員高卒女子一名、関連会社(薬局)出向要員大卒女子一名並びに中央研究所内の欠員補充のための要員(高卒男子一名、女子三名)も製剤研究所から選ぶことにした。

(2)<1> 被告は、研究補助に従事している技能職を一級から八級の職級に分け、職級毎に職務手当を支給している。ところが、製剤研究所においては六級以上に該当する職務がなく、中高卒研究補助者は長期間の在籍にも拘わらず五級に止まっていたため、同研究所はこれら中高卒高年次研究補助者を係長或いは技能職六級以上の地位に就き得る他の部署へ配転し、昇進の機会を与えようと考えていた。そこで、前記配転を命じる営業要員五名及び欠員補充要員高卒男子一名は、同三八年以前に入社した研究補助者二一名の中から、将来研究職に就く能力を有する者、現在の担当業務上欠かせない者等を除外した者をもって充てることにした。

<2> 製剤研究所は右人選基準に基づき、内田弘を欠員補充要員に、寺沢正義、西野栄を医薬営業要員に、原告を食品営業要員(テクニカル・サービスマン)に選び、又、麻田耕二郎(中卒)を大阪配送部に、西口博紹を大阪工場製剤部に配転し、大阪配送部及び大阪工場製剤部において医薬営業要員各一名を選出するローテイション人事を行うことにした。

5 製剤研究所は次の理由により原告を食品営業要員(テクニカル・サービスマン)に選んだ。

(1) 原告は、同三五年高等学校工業化学科卒業後被告に入社し、製剤研究所において固形製剤開発の研究補助に従事する同研究所最古参の技能職であった。

(2)<1> 固形製剤の開発研究は部長研究員、専門研究員、研究員が行い、研究補助者は専門研究員、研究員の指示、指導の下に主薬の化学実験、製剤の概要設計に基づく少・中量の試製実験、製剤の詳細設計に基づく大量の試製実験、新製品製造のための作業標準書原案作成を行う。

研究員は右各種実験のデータを整理、解析し、概要設計、詳細設計をなし、研究補助者に試製実験を指示し、作業標準書を完成させるのであり、高度の専門的知識はもとより総合的な能力が必要である。

<2> 原告は主薬、添加剤に関する知識、経験、製剤機械に関する知識、経験、製剤工程に関する知識経験、測定法、実験器具に関する知識、経験が豊富であったが、研究員として必要な知識、能力に欠け、研究員に昇進する途はなかった。

(3) 営業三課の扱う食品添加物は粉末の化学物質であり、製剤研究所固形製剤グループが使用する医薬品原末、賦形剤と共通し、使用機械、製造工程、技術、文献及び派生する問題点も共通している。従って、原告が製剤研究所固形製剤グループにおいて習得した知識、技能、経験は営業三課のテクニカル・サービスマンの業務と密接な関連性を有している。

(4) 以上のとおり、原告を営業三課のテクニカル・サービスマンに配転することは営業三課の充員要請理由及び製剤研究所の中高卒高年次研究補助者に対する人事方針に合致するものであった。

6 被告本社人事部は中央研究所からの答申を受け、同四八年一〇月二四日本件配転を決め、同月二六日原告に内示し説得を続けた結果、原告は同年一一月七日本件配転を承諾した。そこで、被告は同月八日本件配転命令を発令し、原告は業務引継を行っていたが、同月一二日本件配転命令を拒否するに至った。

7 被告は原告の本件配転拒否後原告に代わる要員の補充をしなかった。そもそも、原告が配転を拒否したからといって安易に代替要員を当てることは人事行政上許されることではない。そこで、営業三課は同五〇年四月から営業販売員三名に教育を施しテクニカル・サービス業務を兼務させ、同五一年二月食品事業部の減員方針が決まった後は営業販売員全員にテクニカル・サービス業務を兼務させている。

五  再々抗弁に対する認否及び主張

1  再々抗弁1は認める。

2(1)  同2(1)は認めるが、食品部門の営業強化は武田食品販売株式会社の合併と従業員教育の徹底により達成される見込みであり、医薬品部門からの配転による増員は考慮されていなかった。又、研究部門から営業部門への配転は関連する業務内で行われていたに過ぎない。

(2)  同(2)のうち、営業三課が中小加工メーカー向けの技能テクニカル・サービスマン一名を増員する必要があったことは否認する。従来から中小加工メーカーに対するテクニカル・サービスは、食品研究所の技術者が営業販売員を通じて或いは直接行っており、本件配転命令の前後を通じて同課に技能テクニカル・サービスマンが配置されたことはない。即ち、被告は本件配転命令内示後間もなく食品事業部食品研究所から技能テクニカル・サービス適格者二名を他に転出させ、又、その後同課に配属された適格者二名にもテクニカル・サービス業務をさせていない。

被告においては、従前から営業販売員に対するテクニカル・サービス教育を実施し、営業販売員が広くテクニカル・サービスに当たっていたのであり、この態勢は本件配転命令後も変わっていない。

3(1)  同3(1)は認める。

(2)  同(2)のうち、食品事業部内において営業三課に対する充員を検討したことは否認する。同事業部内において右充員を検討していれば、同事業部食品研究所には技能テクニカル・サービス適格者が在籍していたから、容易に充員することができた。

(3)  同(4)のうち、中央研究所が人員削減計画を立てていたことは認める(但し、同四八年五月時点で目標を達成した)が、その余は否認する。

(4)  同(5)のうち、本社人事部が中央研究所に対し配転等要員の人選を依頼したことは認める。但し、本社人事部は当初から同研究所のみを配転等要員選出の対象とし、他の部門、研究所からの配転等を一切考慮していない。

4(1)  同4(1)のうち、製剤研究所は人員削減の方向にあり、研究補助者に剰員が生じていたこと、生物研究所は人員の充実が必要であったこと、高卒食品営業要員(テクニカル・サービスマン)は業務の関連から製剤研究所をおいて他に適任者はなかったことは否認し、その余は認める。

(2)<1>  同(2)<1>のうち、職級の分類等は認める。製剤研究所における中高年者処遇は部内昇進、医薬製造部門への転出を原則としていた。

<2> 同<2>は認める。

5(1)  同5(1)は認める。

(2)<1>  同(2)<1>は認める。但し、研究補助者も経験を積むと単に補助業務に終始する訳ではなく研究者の指導の下に新製品の開発研究に従事するのであり、原告は同四三年頃概要設計、詳細設計、作業標準書原案を完成させたことがある。

<2> 同<2>のうち、原告が製剤研究所において昇進の途がなかったとの点は否認する。原告は、入社後四年間は研究補助作業に従事したが、同三九年から逐次開発業務の一部から全部を任され、同四六年からはグループリーダーとして四名の部下を統率して開発研究を遂行してきたのであり、同四〇年、同四七年には被告の表彰を受けたこともあり、同研究所において将来を期待されていた。

(3)  同(3)は否認する。

原告が製剤研究所において修得した知識、技術、技能は固形製剤(錠剤、カプセル剤、散剤)の開発に関する特殊な範囲に限定されており、一般的普遍性を持つものではない。医薬品と食品添加物は目的、原材料、機器操作、粉対混合、練合、文献等全ての点で異なるのであるから、原告が製剤研究所において修得した知識、技術、技能が営業三課の技能テクニカル・サービス業務に役立つことはない。

(4)  同(4)は否認する。本件配転は営業三課の充員要求に沿わず、製剤研究所の中高年者処遇方針にも反する。若し仮に、営業三課の充員要請が真実であり、製剤研究所において原告の配転が止むを得ないとするならローテイション人事を考慮するべきであった。

6  同6は認める。但し、原告は本件配転命令を正当として容認したのではない。

7  同7のうち、営業三課が同五〇年四月から特に営業販売員に対しテクニカル・サービス教育を始めたとの点は否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2及び抗弁1のうち、被告が原告に対し、本件配転を命じたこと、原告が本件配転命令に従わなかったことを理由に本件解雇の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

二  原告は本件配転命令は権利の濫用であると主張するので判断する。

1  本件配転の不当性

(1)  被告の労務政策

再抗弁1(1)<1>のうち、被告は、昭和二三年頃労使協調による企業非協力者排除の方針を立て、同二四年、同二七年逐次社員就業規程、労働協約に非協力者排除、職場防衛条項を設け、労使双方からなる職場防衛協議会を設置したこと、被告が同二五年一〇月解雇した非協力者の中に共産党員がいたことは当事者間に争いがない。

しかしながら、被告が従業員のうち共産党員やその同調者、支持者に対し思想、信条及び政治的行動のみを理由として意図的に不利益な処遇をしたと認めるに足る証拠はなく、原告本人尋問の結果(第一回)は直ちに信用することはできない。

(2)  原告に対する処遇

同<2>のうち、原告が労音、労演の会員であったことは当事者間に争いがない。そして、右原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、原告は同三五年労音、労演に加入、同三七年民主青年同盟に加盟、間もなく日本共産党に入党したこと、原告は、寄宿していた被告五月ケ丘寮においては他の寮生に対し共産党への入党や同党機関紙の講読を勧誘し、職場においては組合役員にもなり、活発な活動家であったことが認められる。

しかし、被告において、原告が共産党員であること、寮における共産党活動、職場における労働運動等を理由として、原告に不利益な処遇をしてきたと認めるに足る証拠はなく、むしろ、後記認定のとおり、原告は製剤研究所において研究補助者として業績を正当に評価され、相応の処遇を受けていたと認められ、右認定に反する原告の供述(第一回原告本人尋問)は信用できない。

(3)  松本労災闘争と本件配転命令発令前の人事異動

<1> 同<3>のうち、松本洋治は、製剤研究所において半合成ペニシリンの製造研究に従事していたが、同四五年一〇月気管支喘息と診断され同四六年一一月一八日関西医科大学付属病院において同疾病のため死亡したこと、被告は、当初、同人の疾病及び死亡が業務に起因するか不明であるとし、同人の生前は右疾病を準公傷として扱い、死後は松本の父に対し見舞金一〇万円を支払うことを申入れたが拒否されたこと、被告は松本問題に関し労災専門委員会を設置したこと、松本の父は同四七年一二月二二日労基署長に対し松本の死につき労災認定を申請し、同署長は同四八年一〇月二三日労災認定をしたこと、被告は松本の遺族の代理人東垣内弁護士らと交渉を重ね、同年九月二一日、松本の死を労災と認め損害賠償金二〇〇〇万円を支払うこと及び同人の労災保険金給付請求について必要な協力をすること等を内容とする和解を結んだことは当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、(証拠略)、弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

イ 松本は被告に対し右気管支喘息は業務に起因するとして業務災害の取扱を求めていたが、被告は右疾病が業務に起因することを明確にする検査結果及び医師の所見はないとして、同人の生前は右疾病を準公傷(治療費は健康保険及び被告負担、入院期間は出勤扱いとする等)として扱い、死後は同人の父に対し見舞金十万円の支払を申出たに止まった。

ロ 杉森健一(製剤研究所)、梅谷友信(中央研究所化学研究所)らを中心とする松本の同寮生らは被告の右対応に不満を持ち、同四六年一一月二二日被告の説明会を設け、梅谷は松本の死が業務に起因することを認めるよう迫ったが、被告は応じなかった。又、製剤研究所においては、松本の生前から同人の要求を支援していた西田、奥田正三及び杉森らによって、松本の死が業務に起因することを究明して労基署の労災認定を得、被告の責任を追求しようとする動きが生じていた。そこで、これら運動の推進者、支援者は相集い、同四七年二月から数回松本追悼登山を行い、又、今後の運動の推進、展開を協議した。

一方、組合は松本の死が業務に起因することの確証がないとして被告の対応に同調し右運動に協力しなかった。そこで、西田、杉森、奥田らは同年六月、かねてから熱心な共産党活動家であった原告をリーダーとして迎え、松本の遺族のため労基署による労災認定及び被告による損害賠償を得ることを目的とする松本労災闘争を強力、広汎に推進して行くことになった。

ハ そして、原告、西田、杉森は、被告内外において松本労災闘争を組織的に推進して行くため、直ちに、社外において民医連、新医協加盟の医師及び民主法律家協会加盟の弁護士らに対策(ママ)の結成を依頼し、社内においては松本さん労災認定闘争支援者の会(後にカーネーションの会)を結成し、原告が代表者になった。

対策協は、定期的に協議会、報告会を開いて一般市民の啓豪に努めると共に松本の死が労災であること、被告の職場安全対策に欠陥があること等を訴えるビラを配布する宣伝活動、早期労災認定を求める署名運動、資金カンパ等広範囲に松本労災闘争を展開し、全国の労働組合、民主団体にも支援を要請した。

ニ 松本の遺族代理人東垣内弁護士は同年九月一一日から被告との間で松本問題解決のための交渉を始めたが容易に進展しなかった。そこで、対策協は被告門前で交渉の経緯を伝えるビラを数回配布した。対策協及びカーネーションの会に属する被告従業員は被告に知られるのを嫌い、当初はビラ配布に参加しなかったが、同四八年七月以降は原告、西田、梅谷、木下善嗣、嵯峨山誠らカーネーションの会会員は数回にわたり被告門前で被告を非難するビラを配布した。

松本の父は同四七年一二月二二日労基署に対し労災認定を申請した。対策協は労基署に対し再三早期労災認定を下すよう申入れ、同四八年五月頃からは原告もこれに参加した。

ホ 被告は、同四七年七月労使双方からなる労災専門委員会を発足させ、松本問題を検討したが当初の見解を変えることはなく、その後も長く同様の状態で推移したが、同四八年九月二一日に至り、松本の死を業務上災害と認め前記和解を締結した。そして、労基署は同年一〇月二三日労災認定をした。

ヘ 被告及び組合は対策協が主導して行う松本労災闘争が被告の内外に広まるのを嫌い、被告の職制は対策協、カーネーションの会の動向を探知、調査し、組合は対策協を非難し続けた。

<2> 同<3>のうち、被告において、同四七年六月から同四八年九月までの間中央研究所副所長、総務部長、総務課長等の人事異動を行ったこと、西田を同四七年四月製剤研究所内で基礎グループに配置換したこと、同年五月医薬営業部にRマンを新設し、同月二一日中央研究所の福原輝男、福島義世及び奥田を、同年一〇月一一日梅谷、鈴木光男を、何れも研究職からRマンに配転(但し、奥田は拒否し、開発部開発二課へ配転された)したこと、同四八年三月一日製剤研究所の再編成を行い、杉森を生産技術研究所に配転、原告を製剤研究所固形製剤グループから外国グループに配置換したこと、嵯峨山を配転したことは当事者間に争いがない。

原告は、右役職の人事異動は松本労災闘争対策を強化する目的でなされ、Rマン新設及び製剤研究所の再編成とこれに伴う配転、配置換は松本労災闘争を分断、破壊する目的でなされたと主張する。

そこで検討するに、(証拠略)弁論の全趣旨によると、被告においては例年四月期に大幅な人事異動があり、製剤研究所は同四七年四月基礎グループの充実を図っていたこと、被告は同年五月近時低迷していた業績回復のため、医薬営業部門の市場再開発を図る緊急措置としてRマン制度を発足させ、同月及び同年一〇月技術者三一名(うち、中央研究所一二名)をRマンに配転し、更に、営業部門、開発及び学術情報部門の強化のためRマン以外にも約二〇名の技術者を開発、学術情報部門へ配転したこと、技術者の営業部門への配転は過去にも例があること、Rマン制度は同五八年解消したこと、被告は、同四八年三月製剤研究所における研究方式の合理化及び技術力の向上のため大幅な組織変更と人員の編成換を行い所員一七七名中五四名に及ぶ配置換を実施したこと、西田の基礎グループへの配置換、梅谷らのRマンへの配転、杉森の生産技術研究所への配転、原告の外国グループへの配置換等は何れも右人事異動の一環として行われたこと、杉森の配転は生産技術研究所の梶浦研究員を研究管理職として受入れたための交換人事であり、被告製剤技術担当部門の統合を目指す長期的展望に基づくこと、奥田はRマンへの配転を拒否したため、被告はこれを断念し、その後本人の希望により開発部開発二課へ配転したこと、嵯峨山の配転は本人の希望によること、原告の業務は配置換によって変更はなかったこと、他方、中央研究所幹部の人事異動は所管業務の拡大、組織変更等被告の業務上の必要に基づくものと認められる。

原告は、西田の配置換は同人が組合の役員選挙に立候補するのを阻止する目的でなされたと主張し、証人西田はこれに沿う供述をするが、(証拠略)と対比して直ちに信用できず、又、当時、松本労災闘争はその緒に就いたばかりであり、被告が特に西田の言動を嫌悪していたと認めることもできない。

又、原告は、杉森と梶浦の交換人事は製剤研究所編成の趣旨に反し不当であると主張し、証人杉森はこれに沿う供述をするが、梶浦が製剤研究所の研究管理職として不適任であったと認めることは到底できず、右交換人事が不当であったと断じることはできない。

更に、原告は、梅谷らのRマン配転は松本労災闘争の粉砕を意図したものと主張するが、Rマン配転者は全体で三一名、中央研究所から一二名に上っているのであり、特に松本労災闘争の支援者が圧倒的に多く充てられた訳ではないから右主張は採用し難く、証人西田及び原告(第一、二回原告本人尋問、以下、同じ)の各供述は直ちには信用できない。

もっとも、<1>認定の事実によると、被告が社内外に広がった松本労災闘争を嫌忌したであろうことは容易に推定できるが、右一連の人事異動、配転が松本労災闘争対策として行われたと認めることは困難である。

(4)  本件配転命令による原告の不利益

<1> 再抗弁1(2)<1>のうち、本件配転命令は原告を営業三課のテクニカル・サービスマンに充てるものであること、原告は被告入社以来、製剤研究所において医薬品開発の研究補助に従事しており、食品部門で稼働した経験はないことは当事者間に争いがない。

原告は本件配転は原告の同意を要する職種の変更であると主張する。しかし、被告が原告を採用する際、職種を医薬品の研究補助に限定したと認める証拠はないし、被告は元来雇傭契約に基づき従業員の人事異動に関し広範囲な裁量権を有しているうえ被告社員就業規程第一〇三条第一項は、社員の所属事業場、所属部、課、係等の変更について、被告は業務の都合により異動を命じることができると定めている(当事者間に争いがない)、のであるから、原告の主張は理由がない。

<2> 同<2>のうち、本件配転によって原告の業務内容が変更されること、テクニカル・サービス業務は研究職と比べ外勤が多いことは当事者間に争いがない。

ところで、原告主張のように、原告が製剤研究所で得た知識、経験、技能がテクニカル・サービス業務に全く役に立たないかどうかはともかく、原告が長年従事してきた業務内容の変更によって何らの不利益をも受けないとは言い難いが、原告において右不利益を甘受すべきかは本件配転命令の業務上の必要性、合理性の有無に係ることであり、後に判断する。

<3> 同<3>は当事者間に争いがない。

しかし、原告は右配置換によって業務内容が変更したのではないから、格別の不利益を豪ったとは認め難い。

(5)  本件配転命令が原告主張の事由により権利の濫用に該たるか否かは以上の認定、説示と本件配転命令の業務上の必要性、合理性とを比較考量して決せられるところである。

2  本件配転の業務上の必要性

(1)  再々抗弁1は当事者間に争いがない。従って、被告が従業員の人事に関し広範囲な裁量権を有していると解すべきことは前記のとおりである。

(2)<1>  同2(1)は当事者間に争いがない。

原告は、食品部門の営業強化は武田食品販売株式会社の合併と同部門従業員の教育徹底により行われ、医薬品部門からの配転による増員は考慮されていなかったし、従来、研究部門から営業部門への配転は関連する業務内で行われていたと主張、供述する。しかし、(証拠略)によると、被告の意図した食品部門の営業強化は、業績向上のため全社規模で行う抜本的な経営合理化の一方策であり、単に武田食品販売株式会社の合併と食品部門従業員に対する教育の徹底のみによって達成できるものではないこと、被告においては研究部門から業種の異なる営業部門への配転、医薬品部門から食品等他部門への配転も相当程度行われていたことが認められるから、原告の主張、供述は採用することができない。

<2>  同(2)のうち、食品事業部においても業績上昇に腐心していたこと、同事業部に属する営業三課は、近畿(三重県を除く)、中国、四国地区の食品加工メーカー(大手約五〇社、中小約一五〇社)に対し食品添加物、食品素材、醸造薬品の販売(食品添加物が売上の八五パーセントを占める)を行っていること、営業三課の営業活動は専門的なテクニカル・サービス(商品の特徴の説明、使用方法の技術的指導、苦情の解明と処理等)を必要とすること、同課員二六名中二名が主として大手業者を対象とする食品添加物、食品素材のテクニカル・サービスに従事し、他の部署からの応援一名が醸造薬品のテクニカル・サービスに従事していたことは原告において明らかに争わないところである。

右事実、(証拠略)、弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

イ 営業三課は従来主力商品である食品添加物に関し中小業者に対するテクニカル・サービスが不十分であり、それが他社に立遅れる原因でもあった。

ロ 中小業者に対するテクニカル・サービスは大手業者に対するのと異なり、化学的、技術的説明だけでは足りず、生産現場における製造工程全般について具体的、多面的なきめの細かい技能的指導、説明が必要である。

ハ ところが、同課在籍の二名のテクニカル・サービスマンが大手業者に加えて中小業者まで受持つことは事実上不可能であったし、又、同人らは大卒者であり、技能的知識、経験に欠けるところもあった。そして、他の営業販売員は文科係出身者が多く、顧客の提起する技術的、技能的問題はテクニカル・サービスマンに取次ぎ自らは営業販売に専従していたため直ちにテクニカル・サービス業務に就かせることはできなかった。

ニ 食品研究所は営業部門が行うテクニカル・サービスに必要な分析、検査、試製等を担当し、所員が直接顧客に対し技術的、技能的指導をすることはない。

ホ そこで、営業三課が中小業者に対する食品添加物の売上を伸ばし業績を上げるためには中小業者に対する専従のテクニカル・サービスマンを置くことが必要であり、右テクニカル・サービスマンは技能的知識、経験を持った高卒者の研究補助者を当てるのが最適であった。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は、被告においては原告が本件配転命令を拒否した後、原告に代替するテクニカル・サービスマンの配転をせず、その後、営業三課に配属されたテクニカル・サービス経験者も中小加工メーカー向けのテクニカル・サービス業務に就かず、結局、同課に右テクニカル・サービスマンが置かれたことはないから、同課に中小業者向けのテクニカル・サービスマンを設ける業務上の必要性はなかったと主張する。

しかし、(証拠略)によると、営業三課は、原告が本件配転命令に従わなかった後、代替員の充員を要請したが容れられず一名欠員のまま経過したため、在籍の営業販売員にテクニカル・サービス教育を施し、当初は三人態勢、後に全員態勢で中小業者に対するテクニカル・サービスを行わしめたこと、同課に配属されたテクニカル・サービス経験者は営業販売員に欠員を生じたための補充であり、又、その頃、同課は全員態勢で中小業者に対するテクニカル・サービスを行っていたことが認められる。

そうすると、営業三課において中小業者に対するテクニカル・サービスマン設置の必要性は原告の代替員を直ちに配転しなければならないほど逼迫したものではなかったとしても、同課が本件配転命令当時、業績上昇のため右テクニカル・サービスマンを必要とし、その要員を求めていた事情は充分窺い知れるのであって、原告の主張は採用できない。

(3)  以上の認定、説示によると、本件配転命令の業務上の必要性が肯認される。

3  本件配転命令の合理性(原告人選の経緯)

(1)  食品事業部及び本社人事部における人選

<1> 再々抗弁3(1)は原告において明らかに争わない。

<2> (証拠略)によると、同(2)、(3)の各事実が認められる。

原告は、(証拠略)は後日訴訟用に作成された文書であると主張するが、右各証言によると、同号証は、大阪食品営業部長が同四八年八月三一日本社人事部長に提出した充員申請書であり、記載内容も同日における営業三課の実情に矛盾していないと認められるから、右主張は理由がない。又、原告は、当時、食品事業部食品研究所には技能テクニカル・サービス適格者が在籍していたが、原告に対する本件配転命令内示後他に転出したことに徴すると、同事業部内において営業三課への配転要員の検討をしていないことが明らかであると主張する。そして、被告は、同研究所に技能テクニカル・サービス適格者が在籍していたこと、原告に対する本件配転命令直後、同研究所所員が他に転出したことは争わない。しかしながら、食品研究所に在籍する技能テクニカル・サービス適格者を営業三課へ配転することの是非は、同事業部が全体の事情を総合的に比較考量して決めることであり、仮に、同研究所に在籍する技能テクニカル・サービス適格者を営業三課へ配転せず他に転出させたことがあったとしても、同事業部内において営業三課へ配転すべき要員の検討をしなかったと即断することは到底できない。又、仮に同事業部において充分な検討をしていなかったとしても、そのことが直ちに後記原告の選出を不当ならしめるものではない。

<3> (証拠略)によると、同(4)の事実が認められる。

原告は、(証拠略)は後日訴訟用に体裁を整えた文書であると主張するが、(人証略)によると、同号証は、中央研究所総務部が本社人事部の要請を受け、同四八年三月提出した同年度及びその後数年にわたる人員計画書(本社事業調整部に対しても同様の計画書を提出した)であると認められるから、右主張は採用できない。又、原告は、中央研究所の人員削減計画は同四八年一〇月既に目標を達成していたと主張するが、同証言によると、当時、右人員削減計画は中間目標を達成していたに過ぎず、全体的には尚余剰人員を擁していたと認められるのであり、右主張は採用できない。

<4> (証拠略)、弁論の全趣旨によると、同(5)の事実が認められる。

原告は、被告本社人事部は当初から中央研究所のみを配転等要員選出の対象とし、他の部門、研究所からの配転等を一切考慮していないと主張するが認めるに足る証拠はない。

<5> 被告の以上の人選手続に格別の不当性、異常性を認めることはできない。

(2)  中央研究所における人選

<1> (証拠略)によると、再々抗弁4(1)の事実が認められる。

原告は、製剤研究所が同四八年三月行った再編成は研究者のみならず研究補助者の増強、充実をも目的としていたのであり、同研究所の研究補助者に剰員はなかったと主張、供述する。しかし、(人証略)によると、製剤研究所の右再編成の目的は機構及び研究方式の合理的整備と人員の質的向上にあり、再編成実施後、研究方式の合理化により、同年四月には研究補助者の剰員が生じていたと認められるから、右主張、供述は採用できない。

又、原告は、テクニカル・サービスマン配転要員を製剤研究所に求めたのは不当であるとも主張するが、(人証略)に徴し採用できない。

<2> 同(2)<1>のうち、職級の分類は当事者間に争いがなく、右事実、(人証略)によると、同<1>のその余の事実が認められる。

原告は、製剤研究所における中高卒高年次者処遇は部内昇進、医薬品製造部門への転出を原則とするから営業部門への転出は不当であると主張する。しかし、(人証略)によると、製剤研究所(広くは中央研究所)は、これまで中高卒高年次者処遇は部内昇進、医薬品製造部門への転出を原則としてきたため、却って人事が硬直化し中高卒高年次者処遇問題の解決にならなかったことに鑑み、新規に右高年次者の営業部門への配転を考慮していたと認められるから、右主張は採用できない。

<3> 同<2>は当事者間に争いがない。

(3)  原告が選出された事情

<1> 再々抗弁5(1)の事実は当事者間に争いがない。

<2>イ同(2)<1>は当事者間に争いがない。

ロ 同<2>は、原告が研究者として必要な知識、能力に欠け、研究員に昇進する途がなかったとの点を除き当事者間に争いがない。

原告は、入社後四年間は研究補助作業に従事したが、同三九年から逐次開発業務の一部から全部を任され、同四六年からはグループリーダーとして四名の部下を統率して開発研究を遂行してきたのであり、同四〇年、同四七年には被告の表彰を受けたこともあり、研究者としての資質に欠けるところはないと主張、供述する。しかし、(証拠略)によると、原告は、かつて専門研究員、研究員の指示、指導なく単独で、且つ、部下を統率して開発研究を遂行してきたことはなく(グループリーダーは職制上の地位ではない)、被告の表彰は全体的な開発過程の中で原告の担当した補助業務に対しなされたものに過ぎず、原告は研究補助者としての実績は相当に上げ、相応の処遇を受けてはいたが、研究者としての資質は評価されていなかったことが認められる。

<3> (証拠略)、弁論の全趣旨によると、営業三課の取扱う食品添加物は製剤研究所固形剤グループの扱う医薬品の原末、賦形剤と同じく粉体の化学物質であること、元来、食品添加物は医薬品、化学品製造の際副生したものであり、医薬品と原材料、使用機械、製造工程及びこれらに派生する諸問題が共通すること、それ故、食品添加物及び医薬品の取扱に必要な化学的、工学的知識も共通することが認められる。

原告は、原告が製剤研究所において修得した固形製剤に関する知識、技術、技能は営業三課における食品添加物のテクニカル・サービス業務に役立たないと主張するが、右事実及び原告が製剤研究所において修得した固形製剤に関する知識、技術、技能、更には(人証略)によると、原告は同課に配転後、相当期間食品添加物のテクニカル・サービスについて教育を受ける予定であったことも認められ、これらの事実を総合すると、右主張は採用できない。

(4)  本件配転の合理性

<1> 以上の認定、説示によると、原告を営業三課のテクニカル・サービスマンに配転することは同課の充員要請及び製剤研究所の中高卒高年次研究補助者に対する人事方針に合致するものであり、その人選手続は相当であったと認められる。

原告は、製剤研究所からの配転が止むを得ないのならローテイション人事を行うべきであったと主張するが、(3)認定の事実に照らし採用し難い。

<2> 配転の業務上の必要性、合理性とは、当該配転が余人をもっては代え難いというほど高度な必然性を言うものではない。

原告が本件配転の結果、習熟した医薬品開発の補助業務から新しく食品添加物のテクニカル・サービス業務に異動することに不利益、苦痛は絶無であるとは言えないが、本件配転は原告の学歴、従来の職歴に矛盾するものではなく、他方、原告は本件配転によって昇進の途さえ開かれるのであるから、本件配転は原告に対する不利益処遇とは断じ難い(原告が本件配転によって蒙る私生活上の不利益、損害は具体的立証がない)。そして、被告は従業員の人事について広汎な裁量権を有しているのであるから本件配転命令は業務上の必要性、合理性があると言うべきである。

(5)  本件配転命令の発令、原告の承諾とその撤回

再々抗弁6の事実は当事者間に争いがない。

原告は、本件配転を承諾したのは真意ではなかったと主張、供述する。しかし、(人証略)によると、原告は当初本件配転を拒否していたが、同四八年一〇月三一日上司の説得により一旦・承諾したものの翌日には撤回し、その後、更に上司の説得が続けられた結果、原告は同年一一月七日に至り本件配転を承諾し同日付の発令に同意したため、翌八日本件配転命令が公示され、原告は配転に伴う業務引継を始めていたことが認められるから、右主張、供述は採用することができない。

4  西田、杉森らに対する配転命令

再抗弁1(1)<4>のうち、被告が、西田に対して関連会社への出向を、杉森に対して化学品事業部営業部員への配転を内示したが、何れも発令に至らなかったこと、又、被告は同時に寺沢、田部和久、尾崎恵美子、柾木真知子、高見恵子、篠原栄子、東川幸治、上村弘子、井上八重子、木下らの配転、異動、配置替をしたことは当事者間に争いがない。

5  判断

原告は、本件配転命令及び4記載の西田に対する出向内示、杉森に対する配転内示、その他の者に対する人事異動は何れも業務上の必要性、合理性がなく、前記Rマンの新設及び製剤研究所の再編成に伴う梅谷、杉森らの配転が松本労災闘争の分断、壊滅を目的としたのと等しく原告ら松本労災闘争の活動家、支援者に対する報復人事であると主張する。

確かに、被告が対策協によって社外にまで広がった松本労災闘争を嫌悪していたであろうことは容易に推定できるし、被告職制が対策協や松本労災闘争に係わる部下に対し様々な牽制を行ったことも事実であろう。しかし、被告は同四六年以降低迷していた業績回復のため営業部門の充実、研究部門の合理化を図ってきており、Rマンの新設、製剤研究所の再編成はその一施策として行われ、これに伴う配転は松本労災闘争の支持者、支援者以外にも広く及んでおり、松本労災闘争対策とは到底認め難いこと、被告においては右の全社的な方針に基づき年間を通じて多くの人事異動が行われ、同四八年一一月期には原告主張の右異動の他にも相当数の異動が行われたこと、本件配転命令については、前記のとおり、業務上の必要性、合理性が首肯できるところであり、西田に対する出向、杉森に対する配転は何れも発令に至っておらず、4記載のその他の者に対する人事異動が同人らに格別の不利益をもたらしたと認めるべき証拠はないこと、原告主張の松本労災闘争の活動家、支持者らに対して行われた一連の人事異動が同時期に行われた他の人事異動に比べ格別の不利益処遇であると認めるべき証拠はないこと、原告においても一旦は本件配転が松本労災闘争と無関係であることを認め、本件配転を承諾していたこと等の事実に照らすと、被告が松本労災闘争とこれに参加した原告らを嫌悪していたこと、本件配転命令を含む4記載の人事異動が松本労災闘争の終熄後日ならずして行われたことを考慮しても本件配転命令その他の右人事異動が原告ら松本労災闘争の活動家、支持者らに対する報復人事であると認めることは困難である。

従って、本件配転命令が権利の濫用により無効であるとする原告の主張は採用できない。

三  原告は、大阪地方裁判所において同五一年二月九日本件配転命令の無効を理由とする仮処分申請が却下されたため、原告は本件配転命令に従う意思を有していたのに、被告は原告の意思を確かめようともせず本件解雇に及んだこと、原告が本件配転命令を無効であると信じたことには相当の理由があることに照らすと、本件解雇は重きに失し権利の濫用として無効であると主張する。

しかし、原告は、仮処分手続の中でも本件配転命令不服従の態度を堅持し、仮処分申請却下後も従来どおり製剤研究所に出勤し営業三課には出勤していないのであるから、原告において易々と本件配転命令に従う意思を有していたとは認め難いし、被告において改めて原告に対し本件配転命令に従う意思の有無を確かめるべき義務があるとは解されない。そして、二3(5)認定の事実に照らすと、原告が本件配転命令を無効であると信じたことに相当の理由があるとは認め難い。

従って、原告の主張は採用することができない。

四  以上の認定、説示に照らすと、原告の本件配転命令不服従は社員就業規程第一二三条第五号、第一二四条第三項に該当すると言わざるを得ない。

そして、(証拠略)弁論の全趣旨によると、被告は原告に対し労働協約所定の手続に則り本件解雇の意思表示をなしたことが認められる。

従って、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく全て理由がない。

よって、民訴法八九条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 鹿島久義 裁判官北澤章功は転任につき署名、押印することができない。裁判長裁判官 蒲原範明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例